まみっちです。
娘は1月後半から、春休みに突入。
この3週間で、スキー2回 ディズニーランド2回、会食数回など部活の合間を縫ってエンジョイしています。
まだアルバイト始めていないのに、やりくりはどうしてるんだろうと思っていたら、旦那が渡してるっぽい。
私に「甘いんじゃないの?」って言われるから、コソコソやってる。
普段、素っ気ない娘も旦那にコミュニケーション取ってくるので、お互いwinnwinの関係らしい・・
ま いっか。
最近、Twitterで「どうやって、不登校を脱出されたんですか?親の心の持ちようは?」って質問を頂きました。
不登校を脱出したのは娘なので、私は憶測でしか言えません。
ただ、言えるのは「こうやったら脱出出来ました」のような1つの回答はありません。
でも、失敗したなと思う事は1つあります。
親って、子供が学校に行けなくなると、戸惑い焦り「なんとか 早く学校に戻さなければ」と考えますよね。
私もそうでした。何かあったのか?友人とのトラブル?それを解決すれば行けるようになると信じていました。
でも、それは休みだすきっかけに過ぎず、それまでに色々な積み重ねがあり、そのきっかけで心の中の我慢のコップから溢れ出してしまっただけ。
「学校に行けなくなった」という事象に対して、「学校に戻れるようにする」という親の対応は一見合ってそうですが、子供がそれを望んでいるかどうか・・そこに子供の意思があるかが重要です。
娘は「学校に行きたい。行かなきゃいけないと分かっている。でも行けないんだ。」って言ってました。
理由を聞いても「分からない」と言うだけ。多くのお子さんが同じように言うそうです。
辛い気持ち、我慢の積み重ね、曇った心を言葉にすることが難しいようです。
うちの子は「行きたいと思ってるが行けない」っとはっきり言っていたのに、『甘えている、このままズルズル休ませるのはクセになる』と考え無理矢理腕を引っ張って起こそうとして、朝から何度か修羅場になりました。
「学校に行かない」という目に見えているものに囚われ過ぎて、何故行けないのか、どういう気持ちでいるのかという見えない部分を考えてあげることはしませんでした。
『このまま学校に行かないとどうなるのか』という子供の将来に対しての不安、常識、世間体に囚われ、今ここにいる娘の心に寄り添って、尊重することをしなかった。
不登校の一番最初のところですよね。ここを失敗したなと、今でも後悔しています。
娘自身も、不安でどうしたら良いか分からないのに 親からは寄り添われるどころか「何を考えているんだ?」「どうするつもり?」など顔を見れば詰問される始末。
今思えば、本当にかわいそうなことをしました。娘を傷つけ、失望されすっかり信頼を失いました。
親を信頼していないので、自分の殻に閉じこもり 相談もしないので回復により時間がかかったと思います。
でも、それに気付いたのも色々と失敗をやり尽くしたからなんですけどね。
1回『学校に戻す』という事を忘れて、『今のこどもに向き合う』っと腹を括れれば、スタートラインに立てると思います。
心の回復に向き合うことになるので、時間が必要です。時には辛辣な言葉を浴びせられることもあるかもしれません。(我が家は過去の恨みつらみを言われました)
スタートラインに立てたら、不登校の経過がお役にたてると思います。
親の気の持ちようは、一言でいうと課題の分離ですね。
子供のことで悩むのを、出来るだけ止めました。
自分のことは自分でしか解決できないので、子供のことは子供に任せるしかありません。
子供が安心して家で過ごし自分の課題に向き合えるように、親は衣食住を整えて見守るしかありません。
ただ親だって人間ですから、ゲームしかせず動かない子供を見ていて辛くなることもあります。
その時に、親も心が晴れる何かを見つけるのが良いと思います。
高1で学校に復帰し、不登校から脱出したように見えましたが、高3まで不登校を繰り返しました。
その後、予備校まで不登校をしてオンライン受講だったので、本当の意味での『不登校からの脱出』は大学に入ってからということになります。
通算5年かかっています。それまでに心も身体も成長し大人になったというのもありますが、やはり『合う』学校に入学できたのが、最大の要因だと思います。
自分で決めて、自分で動いた結果です。
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