「辛いのはお子さんですよ」
この言葉、不登校児界隈ではよく聞かされる言葉です。
でも、私がその言葉を聞いた時、何か突き放されたように感じとても悲しくなりました。
『そうだよ。わかってるよ。でも私も辛いんだよ。親が辛いと思ったらだめなの?私を助けて下さいと言ってはだめなの?』と心の中で叫びました。
夫にも「そんな顔するな。不安がダダ漏れしてるんだよ。こっちまで気が滅入る」とまで言われました。こんなに辛くて夜も眠れないというのに。離婚の二文字がチラついたほどです。当事者である夫ですらこうですから、他人には理解し難いかもしれません。
「親は『なんてことない』という顔をしてデンと構えていて下さい。そうすると子供は安心しますから」
「親は子供に構わず自分の好きな事をして、楽しく過ごしている姿を子供に見せると良いんですよ」
などとカウンセラーさんにも言われましたが、どうしてそんな事が出来るでしょうか?私はショックを受けているんです。勉強の遅れ、将来への不安で何も考えられないというのに。子供が元気になり日常を取り戻したら、やっとそういう気になるものでしょう?その頃の私にはとても実行不可能な事でした。
私の経験から言うと、自ら『なんてことない』と思ったり、『デンと構えたり』『自分の好きな事をする』という課題はクリア出来ませんでした。
何が必要だったかというと『救い』です。
まず親が救われてからでないと、無理です。後で気付きましたが当時の私は溺れていました。溺れている人は救助されないといけません。救助されて陸地に戻らないと、楽しい事なんて考えられないですよね?でも大人ですから自ら救いを求めないと誰も助けてはくれません。
私が救いを求めたものをご紹介します。
救いを求めたところ・・安息地
救いを求めたもの・・お役立ちグッズ
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